教育実践研究をまとめる(25)報告書に向けた「実践の締切」と教育実践研究の進め方

この時期、教職大学院に在籍する修了年度の院生たちは、年間の計画を立て始めていることが多い。理想を言えば、こうした計画は前年度のうちに策定しておくのが望ましいが、新年度を迎え、自身の立場や学校内の体制が明確になると、それに応じて計画を見直す場面も多くなる。

では、年間計画を立てる際、どのような時期を念頭に置くべきだろうか。

これは経験に基づく話であるが、筆者の勤務校では、報告書の提出期限が例年1月中旬に設定されている。そのため、筆者は学生に対し、「11月末までに行った実践や収集したデータ」を報告書に盛り込むことを目安とするよう指導している。

しかし、11月末はまだ第2学期の途中にあたり、すべての実践を終えるにはやや早い時期である。理想を言えば、11月末までに教育実践研究の計画をほぼ完了させ、それを報告書にまとめるという流れが望ましい。

一方で、学校現場にはその後も3~4ヶ月の期間が残されており、学校ぐるみで取り組む教育実践研究を対象とする場合、「報告書の締切があるので、11月までに計画を完了させたい」と申し出ても、現実的には受け入れられにくい。これは避けがたいジレンマである。

したがって、11月末を一区切りとしながらも、無理のない計画を立てることが肝要である。12月以降も現場での取組が継続されるのが一般的だが、11月時点で5%しか進んでいない実践が、2月や3月に一気に完了するとは考えにくい。

逆に、11月末時点でおおむね8割の実践が終了していれば、その時点での到達状況と今後の見込みを報告書に記述することで、読み手にも「残りも含めて概ね到達するであろう」と自然に理解される。

要するに、教育実践研究の全体像を重視しつつ、途中経過と今後の見通しを報告書に示すという姿勢が求められる。

ただし、ここで述べているのは、現職教員が学校ぐるみで実施する教育実践研究を、教職大学院の報告書としてまとめる場合に限った話である。学会誌に投稿する論文については、実践が完了してから執筆するのが原則であり、このタイムラインは適用されない。

2024年度を振り返って

2024年度が終わった。年度の途中から大教大11年目に入った。前任校の長崎大学での勤務が10年弱だったので、大教大での生活の方が長くなった。これで2校にわたり20年も勤務したことになる。

研究では、代表者となっている科研の最終年度であった。予定をしていたシステムを完成させることができた。論文を投稿することはできたが、最終の評価をもう少し充実させることができれば良かった。あと仕事により論文の執筆が後回しになってしまった。研究としてやりたいことはいっぱいあるのだけれど、全部できるわけではない。自分の能力や時間の中で何をしたいのかということを考えていかないといけない。年度末にあった島根大学のセミナーではこれまでのことを振り返る良い機会をいただいた。

教育においては、連合教職大学院を中心に担当をしている。これまでに担当した人をカウントすると50名程度となる。この夏に初めて、自分が主指導教員として担当してきた院生や研究生に呼びかけて研究会を実施した。講義はあまり変わらないのだが、学部の授業についても少し担当するようになった。このようなことは今後増えていくだろう。天王寺キャンパスにおいて、ターム制による授業が始まり、これにはかなり手を焼いた。あと、博士課程の担当教員として名を連ねることになった(初年度となる2025年度入学生の主担当の予定はなし)。

大学においては、連合教職実践研究科の副主任に指名されたのをはじめとして、これまでと比較にならないほど仕事や会議が増えた。特に5月中旬くらいまでは毎日のように会議があり、大変だったが周りの方にもお気遣いいただき比較的安心しながら進められた。あと1年の任期を残しているため、来年度も似たような状況だろう。教員養成フラッグシップ大学に関わる仕事としてはOZONE-EDUの取り組みがあった。ここまでの実績はなんとか順調で、2月にはシンポでも報告をした。

このような状況により、本務ではない仕事について、お断りすることも多くなった。本務ではない学校への訪問・講演等は数としてもこれまでの6割程度に減った。学校と関わる場合については、自分にも学びがあるので、単発というよりはできれば複数回関われるようなところには今後もうかがえればと思う。

学会の活動においては、日本教育メディア学会では改選があり、副会長となった。しかも会長は村上さん(阪大)。初めてお会いしてからもう20年以上となる。当時こんなことになるとは思っていなかったので、入会を誘った立場としては申し訳ないこともあり、頑張ってお支えしないとなと思う。日本教育工学会では、ショートレター編集委員幹事の立場が重く、これ以上担当するのは難しいと思い、早めに辞任させていただいた。理事の担当としては総務委員会副委員長から、委員長となったので、こちらの方はなんとか頑張りたい。日本教育工学協会は、学校情報化認定の審査で手一杯ですいません。

20年仕事をしてきたが、もちろん十分とは言えないと思うが、自分なりに頑張ったんじゃないかと思う。そろそろ残りをどう過ごすかを考える必要がある。

成城学園初等学校の映像教育

日本教育工学会(JSET)の春季全国大会に参加をした。

会場が成城大学と聞いて,思い出したのは「映像科」である。視聴覚教育では特に有名であるが,ここの小学校は昔より映像に関する教育を行っているというのを,文献等を通して知っていた。

大森哲夫(1991) 人間的映像の教育(阿部出版)

https://amzn.to/3FuJa9L

本務の仕事で欠席をした初日,今はどうなっているのだろうと思い調べてみると,成城学園初等学校のWebで紹介されていた。他には,劇などもあるのだそうだ。

https://www.seijogakuen.ed.jp/shoto/education/curriculum

映像の時間はYouTube動画も公開されていて,児童の作品を見ることができる。

まさか今日まで続いているとは知らず驚いた。また,こうした取り組みは中学校・高等学校,大学の取り組みにもつながっているそうだ。素晴らしい。

そのあと学会に参加して,大会企画で初日にあったキャンパスツアーに参加した方からもその様子をうかがった。自分の目で見てみたかったなあ。

こうした独自の良い取り組みを長く行われていることが素晴らしいし,私学ぽくて羨ましく思った。

教育実践研究をまとめる(24)研究倫理(2)研究倫理は3つの層で考える

教育実践研究を進めようとしている現職教員は、研究倫理は3つの層に留意をして研究を進めるのが良い。

最も基本的なものは、(1)公務員・教師としての倫理である。これは研究に関わりなく、その職業に関わる人が意識しなければいけない倫理である。これは大学等の教育機関で指導を受けるものではなく、教員研修等で指導を受けるものである。研究を進める際にもまず一職業人として意識をしなければいけないものである。

続いて、(2)一般的な研究者としての倫理である。これについては、研究者一般が知っておかなければいけない研究倫理となる。これは体系的にまとめられており、以下のように日本学術振興会のWebページより誰でもテキストを入手することができる。大学に所属している場合は、eラーニング教材に取り組むことが大学院生にも課せられているケースが多いと思う。一般的な研究倫理となるので、これも共通して学ばなければいけない事項である。

科学の健全な発展のために-誠実な科学者の心得-

https://www.jsps.go.jp/j-kousei/rinri.html

この研究教材は、学習していると、教育実践研究を進める現職教員にはあまりイメージできないものもある。例えば、研究室に所属をし、教授をはじめとするラボメンバーと共に共同研究を進めることなどがその一例である。他に実験を通して得られた画像の加工など、おおよそ自身の研究とはあまり関わると思われない理系的な研究も自身のイメージからは遠いものとなる。ただこうした教材から研究の幅広さを知ったり、自分の研究に置き換えて考えてみるとあてはまる部分もあると考えられるので、こうした視点からも学習しておきたい。

最後に、(3)教育実践研究者に求められる固有の倫理というものがある。教育実践研究においては学校における教師や子どもが対象となる。教師は学校に所属をしており、管理職が労務等を管理している。子どもには、保護者がいる。学校を取り巻くこうした人たちは働いている時は身近な存在であるが、研究を通してこれらの方々に関わる際は、あくまで研究者として関わっていく事になる。普段の関係性はもちろん大事であるが、ここでは研究者として留意しながら依頼をしたり関わったりしていくことで様々な人から研究への理解を得ることが必要である。

大学における研究倫理の指導は上記の(2)に特化されているケースが多い。(3)は教育研究に関わる各研究分野で、その対応や敏感さがまちまちである。まずは上記した3層構造を意識して教育実践研究を進めるのが良いと思われる。

教育実践研究をまとめる(23)研究倫理(1)研究倫理を考えるメリットは

近年、研究を進める上で、研究倫理を考えることは避けて通れない重要な課題である。実際に研究倫理に関わる様々な問題が発生しており、それを防ぐためにも、教育実践研究に取り組む人はこの問題に真摯に向き合う必要がある。

しかし、研究倫理を学ぶことや指導することが、どこか暗く重いものに感じられる場合もあるのではないだろうか。過去の事例や「これをしてはいけない」という教訓を通じて学ぶ過程で、不安や責任の重さを感じることは少なくない。さらに、研究を進める中で「これで正しいのだろうか」という疑念が生じることも多い。こうした悩みは、研究倫理を考える上で必ず出てくる場面である。

しかしながら、研究倫理を考えることには意義がある。例えば、倫理審査申請書を作成する際には、自分の研究の目的や計画、予想される課題を他者に理解してもらう必要がある。この過程を通じて、自身の研究計画がより明確化され、研究の進行において重要な役割を果たす。これにより、研究内容が精査され、質の高い成果報告を目指す道筋が整えられる。

研究倫理は単なる規制やルールではなく、研究そのものを発展させ、信頼性を高めるための重要な枠組みである。教育実践研究者としての責任を果たすとともに、研究の質を向上させるための一助として、前向きに取り組むことが求められる。