2024年度が終わった。年度の途中から大教大11年目に入った。前任校の長崎大学での勤務が10年弱だったので、大教大での生活の方が長くなった。これで2校にわたり20年も勤務したことになる。
研究では、代表者となっている科研の最終年度であった。予定をしていたシステムを完成させることができた。論文を投稿することはできたが、最終の評価をもう少し充実させることができれば良かった。あと仕事により論文の執筆が後回しになってしまった。研究としてやりたいことはいっぱいあるのだけれど、全部できるわけではない。自分の能力や時間の中で何をしたいのかということを考えていかないといけない。年度末にあった島根大学のセミナーではこれまでのことを振り返る良い機会をいただいた。
教育においては、連合教職大学院を中心に担当をしている。これまでに担当した人をカウントすると50名程度となる。この夏に初めて、自分が主指導教員として担当してきた院生や研究生に呼びかけて研究会を実施した。講義はあまり変わらないのだが、学部の授業についても少し担当するようになった。このようなことは今後増えていくだろう。天王寺キャンパスにおいて、ターム制による授業が始まり、これにはかなり手を焼いた。あと、博士課程の担当教員として名を連ねることになった(初年度となる2025年度入学生の主担当の予定はなし)。
大学においては、連合教職実践研究科の副主任に指名されたのをはじめとして、これまでと比較にならないほど仕事や会議が増えた。特に5月中旬くらいまでは毎日のように会議があり、大変だったが周りの方にもお気遣いいただき比較的安心しながら進められた。あと1年の任期を残しているため、来年度も似たような状況だろう。教員養成フラッグシップ大学に関わる仕事としてはOZONE-EDUの取り組みがあった。ここまでの実績はなんとか順調で、2月にはシンポでも報告をした。
このような状況により、本務ではない仕事について、お断りすることも多くなった。本務ではない学校への訪問・講演等は数としてもこれまでの6割程度に減った。学校と関わる場合については、自分にも学びがあるので、単発というよりはできれば複数回関われるようなところには今後もうかがえればと思う。
学会の活動においては、日本教育メディア学会では改選があり、副会長となった。しかも会長は村上さん(阪大)。初めてお会いしてからもう20年以上となる。当時こんなことになるとは思っていなかったので、入会を誘った立場としては申し訳ないこともあり、頑張ってお支えしないとなと思う。日本教育工学会では、ショートレター編集委員幹事の立場が重く、これ以上担当するのは難しいと思い、早めに辞任させていただいた。理事の担当としては総務委員会副委員長から、委員長となったので、こちらの方はなんとか頑張りたい。日本教育工学協会は、学校情報化認定の審査で手一杯ですいません。
20年仕事をしてきたが、もちろん十分とは言えないと思うが、自分なりに頑張ったんじゃないかと思う。そろそろ残りをどう過ごすかを考える必要がある。