「実践研究」カテゴリーアーカイブ

教育実践研究をまとめる(2)数度のサイクルで計画する

教職大学院等で進める教育実践研究と,その他普通に行う教育実践研究の違いはなにか?前者には,締切が明確に設定されているという点である。

例えば,大阪教育大学連合教職大学院であれば,4つの実習科目が設定されている。2年間にわたる見通しとして,何をテーマとし,何を実現させることを目標とするのかについて明確にすることが必要である。もちろん,途中で修正が入るだろうが,あとでそれがどのように変わってきたかを振り返るためにも,2年間に渡る見通しを立てる。これが大きなひとつのサイクルとなる。

その上で,各実習ごとのサイクルを設ける。大教大の場合は,2年間の各セメスターでひとつひとつの実習があるから,各実習で何を目標として,何を実施するのかを明確にする。こちらは小さいサイクルとなる。いわゆる大きなゴールから考え,それを逆算する逆向き設計と言われる考え方となる。

大きなサイクルでもPDCAのような流れが進行するであろうし,小さなサイクルひとつをとっても,PDCAが進行する入れ子状態となる。

なお,一番初めの小さなサイクルでは,P(計画)が重視されるだろう。この計画のために,問題状況や課題の分析が必要である。それに基づき,2番目以降でのサイクルの計画が設定される。あとに行くに従い,対象範囲が広くなる,より普及推進の要素が入るなどのスケールアップが必要となる。

これに対し,大学院のようなカリキュラムに従って進まない場合は,はじめの教育実践からデータを得て修正をしていく,いわゆるアクション・リサーチのようなものになるだろう。これはひとつのサイクルが終われば,そのデータに基づき再設計を行うなどして,サイクルを重ねていく。締切があるわけではないので,終わりがない。終わりを自分でコントロールするということを考えると,より大変だろう。

もちろん,上記した教職大学院の教育実践研究もアクション・リサーチの性格を持つものであるが,通常の教育実践研究とは締切があるかかないかの違いで,ややその捉え方が異なってくるように思われる。

教育実践研究をまとめる(1)言葉を定義する

今までも少し考えて時折メモをしていたのだが,教職大学院等において大学院生が実践研究を進める際に気をつけたいことを残していきたい。思いついたときに書くので,順番などは気にせずに。

特にメインタイトルになりそうだとか,キーワードになりそうなものについて,「言葉を定義する」ことが重要である。なぜかというと,同じ用語を利用していても,他の人と捉え方が異なるときがよくあるからである。それに気がつけばよいが,同じ日本語を使っていると,その違いには気が付かず,いくら議論をしてもうまく行かないことがある。このため,特に研究に頻出する言葉については,その定義が必要である。

例えば,「子どもの書く力を育成する」といったときの「書く力」とは一体何を指すのか,人によって思い描くものが異なるので,こういったものを定義したい。人によっては,論理的に書くようなものを考えるかもしれないし,別の人はあったことやその時思ったことを書くようなものを考えるかもしれない。また,内容面だけではなく,どういう場面が書く場面なのかもイメージが異なるかもしれない。原稿用紙に鉛筆で書くのと,PCを利用してキーボードでタイプするのも含んで「書く」と捉える人もいるかも知れない。

このように定義する際に,最終的には自分で定義づけることになるのだが,自分の頭の中だけで考えるものではない。このときには,他の人が過去にこうしたことをどのように定義づけてきたのかを参考にすると良い。ciniiなどで論文や書籍を検索し,書く力を向上させるための研究において,こうした活動がどのように捉えられているのか。もちろん研究だけではなく,文科省による文書から読み取れるものもあるだろう。国語科の学習指導要領においてどういったことが「書く」活動とされているか。あるいは言語活動なんてものがあったけれど,それにも書かれているのではないか・・・など,言葉にもよるかもしれないが実は目を通さないといけないものがいっぱいある。

このときに,いろいろな資料にあたることが重要である。自分にとってイメージが近いから,ということだけではなく,様々な資料を通してその異同を比較しつつ,自分なりに焦点化したものを定義として掲げたい。ただ,旧来用いられてきた定義と同様にするという方が,手続きとしては無難である。

定義をすることというのは,当たり前だがそのあとのすべての計画や実施の前提となるので,丁寧に行いたい。時として定義が異なるのでは?という指摘を受けることもあるかもしれないが,自分で行った定義を基本的な前提とすれば良いので,きちんと比較,定義づけたものであれば,修正の必要があるか耳を傾け,ときには批判的に振り返りつつも,その前提で計画を進めれば良い。

ところで,話外れるが,多くの人の間でキーワードになりつつも,おそらく前提として各人が持っている定義がバラバラなため,議論がかみ合わないということが一般的にも散見される。最近で言えば,「個別最適な学び」と言っているものが例えばそれにあたると思われる。

やはりこのようなときも,他の人がどのように定義づけられているかがとても参考になる。このキーワードで言えば,奈須先生の以下の本がとても勉強になった。学校の先生にとってもよくわかるとても良い本であった。

連続する実践研究は「のりしろ」が重要

教職大学院で,教育実践研究の報告書を院生がまとめることについて指導をしてきた。この指導についてあまり言語化できていないところがあり,今後気にとまったことを都度書いていきたいと思う。

報告書をまとめる際に,特に重視しているのは実践と実践の間の「のりしろ」である。院生は2年に渡り,10単位の実習を進める。多くの場合,ひとつのセメスターの取り組みが1章分に相当するので,目的や先行研究,最後のまとめを除けば3,4章分できることになる。この各章のつながりを「のりしろ」と自分の中ではいっている。章と章をどのようにつなぐのか,ということをイメージしている。

ある章の実践研究には,成果と課題がある。ここで取り上げられた課題をクリアすることが,次の章の目的となる。この課題と目的の一致が重要である。

もちろん,前の章に掲げられる課題には,次の章の目的に直接つながるものと,そうではないものがあるだろう。直接つながるものは実践研究の主要なテーマとなるものや全体のデザインに大きく作用するもの,そうではないものは少し改善されれば明らかに効果につながるものや振り返ってみれば当然だが,実践においてできていなかったことがあげられるだろう。

教職大学院の実践課題研究報告書の構成に見る深い溝

教職大学院においては修士論文がない代わりに,実践課題研究報告書というのを(うちの大学院では)提出することになっている。

一応これまで指導をしてきたつもりなのであるが,各人によりその構成がまちまちなところがあり,指導(というかコメントをファイルに入れる)のが難しい。対象が現職教員院生となり,それがさらに顕著になった。

実践課題研究報告書をまとめる際は,2つの視点に留意し,それがうまく混ざることが良いのではないかと考えた。

ひとつは,研究論文としての構造である。すなわち,背景ー目的ーそれを実現させるための方法ーデータから出てきた(導き出される)結果ー結果を踏まえての議論・考察である。この構造を持ってまとめると,ある程度明確に示すことができるという点でメリットがあるが,載せたほうがよい情報を削ってしまったり,構成を重視するがゆえに削らざるを得ない可能性が出てくる。

もう一つは,実践研究としてのポートフォリオ性である。できるだけ状況や行ったこと,結果や意図せざるものまでを分厚く順序立てて描くといったイメージだろうか。これは,実践として鮮やかに描けるというメリットが有る一方で,どうしてもその場や状況に依存する。また,「なんとかがんばってまとめた」という本人の自己満足に終わる可能性もある。

私としては,前者のようなアプローチを基本的に心がけることが必要だと思っていたが,綺麗にまとめすぎようとして,下手をすると実践から目を背けてしまい,振り返りが浅くなる可能性がある。一方,実践でやったことだけをつらつらまとめるだけでは,別に大学院にいなくてもできるかもしれないことで,日誌としてまとめることと同じものになってしまいかねない。

以上から,両極にある視点としてこのふたつはとても大切であり,執筆をする人は心がけておかないといけないと思った。いわゆる「理論と実践の往還」という言葉にまとめてしまうことになり,そう言ってしまえばかんたんなのだが,長年教職大学院に関わってきたものとしては,あえて両者の視点には深い溝があると言いたい。この溝を乗り越えるにはどうすればよいだろうか?