教職大学院の実践課題研究報告書の構成に見る深い溝

教職大学院においては修士論文がない代わりに,実践課題研究報告書というのを(うちの大学院では)提出することになっている。

一応これまで指導をしてきたつもりなのであるが,各人によりその構成がまちまちなところがあり,指導(というかコメントをファイルに入れる)のが難しい。対象が現職教員院生となり,それがさらに顕著になった。

実践課題研究報告書をまとめる際は,2つの視点に留意し,それがうまく混ざることが良いのではないかと考えた。

ひとつは,研究論文としての構造である。すなわち,背景ー目的ーそれを実現させるための方法ーデータから出てきた(導き出される)結果ー結果を踏まえての議論・考察である。この構造を持ってまとめると,ある程度明確に示すことができるという点でメリットがあるが,載せたほうがよい情報を削ってしまったり,構成を重視するがゆえに削らざるを得ない可能性が出てくる。

もう一つは,実践研究としてのポートフォリオ性である。できるだけ状況や行ったこと,結果や意図せざるものまでを分厚く順序立てて描くといったイメージだろうか。これは,実践として鮮やかに描けるというメリットが有る一方で,どうしてもその場や状況に依存する。また,「なんとかがんばってまとめた」という本人の自己満足に終わる可能性もある。

私としては,前者のようなアプローチを基本的に心がけることが必要だと思っていたが,綺麗にまとめすぎようとして,下手をすると実践から目を背けてしまい,振り返りが浅くなる可能性がある。一方,実践でやったことだけをつらつらまとめるだけでは,別に大学院にいなくてもできるかもしれないことで,日誌としてまとめることと同じものになってしまいかねない。

以上から,両極にある視点としてこのふたつはとても大切であり,執筆をする人は心がけておかないといけないと思った。いわゆる「理論と実践の往還」という言葉にまとめてしまうことになり,そう言ってしまえばかんたんなのだが,長年教職大学院に関わってきたものとしては,あえて両者の視点には深い溝があると言いたい。この溝を乗り越えるにはどうすればよいだろうか?