言葉にならない日々

なんと今年初投稿である。毎年書いているような気がするが,年のはじめには,実は毎日書こうと思っていたりするので,なんとも複雑である。知らない間にWordpressの画面も一新されている。

1月は特に忙しいのもあったが,やはり年のはじめにあったことがきっかけで,なにか書こうと思ったり,そうであっても何も言葉として出せばよいのか・・・という感じで思いを巡らせる日々が続いた。何周もまわって結局思ったのは,この仕事は結局何らかの言葉として残していかないと,何もならないということであった。

今でも何をどうすればよいのやら,相変わらずまとまらないが,結局のところ日々を大事にし,自分なりに言葉を作っていくしかない。・・・というわけで,今年もこのサイトに色々と残していこうと思う。イベントごとについては,早いうちにtwitterで簡単につぶやくようにしているので,本画面右から御覧ください。(@kostera09)

パフォーマンス評価を通して「教科の本質」を考える

新しい学習指導要領において,主体的・対話的で深い学びやカリキュラム・マネジメントがキーワードとなっている。これらに関連した研修も多いのではないかと思う。

いずれも各教科の関連付けを意識したように思うが,その一方,もうひとつのキーワードとして,「教科の本質」や当該教科での「見方・考え方」などにも注目したい。

現在,教職大学院の評価に関係する講義において,自身の設定した単元の目標とそのパフォーマンス評価,その教科の本質を考えさせている。もちろん,このようなことは私一人でできるわけもなく,実務家教員とのTTの中で実施している。

先日は院生がまとめた当該教科の「本質的な問い」について,相互評価をしてもらったり,私から問いかけたりした。当初の予想を上回る形で彼らはよく考えいると思う一方で,それをどう表現していくか,何をターゲットとしていくかは,今後さらに議論していくことで深めていきたい。

授業は以下の書籍の第4章をベースとしている。編著者のおひとりの田村先生は,今年度から同僚となった先生。なんだか縁がある。

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大学院での教員養成と学校現場の研修をつなげる(学校教育ICT推進リーダー)

今週は,本学連合教職大学院と,大阪市教育センターによる学校教育ICT推進リーダーの研修からスタートした。6月からはじめ,今回で終了となる研修である。大阪市ICTフロンティア研修との合同開催であった。受講生は時間をかけて打ち合わせしてきた模擬研修をICTフロンティア教員を研修受講生に見立てて実施した。現在はこれらを含めた総合評価の最中である。

この研修の一部は,連合教職大学院の講義「ICT環境の活用」と一部合同実施をしている。講義はストレートマスター用科目となるのですべて合同とは行かないが,講義の一部をうまく融合させながら,実施してきた。いずれも私が担当しているが,これらを接合させなければ,教育と研修が切り離されたものとなってしまう。課題は多いけれど,あれこれ悩みながら自分でもよく考えたカリキュラムにすることができているのではないかと思う。この日は夏期に講義を受講した大学院生らも受講生役として参加をした。彼らに少し話を聞いてみると,その感想はICTのことに特に長けているフロンティア教員とはまた違うリアルさがある。

これまで自分のキャリアにおいて,教育ー社会貢献ー研究をつなげようと頑張ってきた。でもそれは卒論で学生をフィールドに出したり,現場の生の声を教育に取り入れようとする一部の取り組みに終わっていたと思う。この学校教育ICT推進リーダーの取り組みは,今言われている教員養成と研修の一体化を少しはうまく図れ,教育ー社会貢献をある程度果たす枠組みを作ることができているのではないかと思う。

この取組,次年度も継続する方向になりそうだ。しかし改組もありそれをどのように行うかは思案中である。あと,やはり研究に繋げないとだめだよなあ・・・。

第8期事務局長を終え,第9期企画委員会委員長に(日本教育メディア学会)

先月末,鹿児島大学で行われた日本教育メディア学会に参加をした。この学会は,私にとってはひとつの節目となる学会であった。3年間,会長である関西大学の黒上先生のもとで,事務局長を務めてきたのだが,理事会と総会をもってその任期が終了するためである。
担当をし始めたときは,全く慣れず,自分が思ってもいないところでいろいろと起こり続けるので,正直どうしようかと思った。また別の学会での用務でも重いことがあって,2ヶ月間は生きた心地がしなかった。3年をかけ,ある程度のパフォーマンスは果たし,次の事務局には同じ道を辿らせない工夫を少しはできたと思う。
在任中は多くの方に励ましの言葉をかけていただいた。また,私の前任の中橋くん(武蔵大学)は,何かあったときに連絡するとすぐにアドバイスをくれて,本当に感謝している。この感謝は次の事務局長である永田先生(兵庫教育大学)に返したいと思う。もちろん,事務局補佐の二人(山本くん@東大,泰山くん@鳴門教育大学)にも感謝している。
このサイトは,私の「経験学習日記」だと思っているので,改めてこの経験での学びは何か・・・を考えてみた。ひとつは,完璧をめざさないこと。仕事のパフォーマンスは自己評価では65点から75点ぐらいだと思う。漏れている仕事がかなりあることは認識をしている。でも,それぐらいで良いのでは?と思う気持ちが必要かと思っている。もうひとつは,学会というコミュニティを自分の中で,どう考えて捉えていくかということ。将来を考えたとき,学会という存在はどの様になっていくのかをよく考える機会があった。多分この役割を担当したからだと思う。
とりあえず,いろんな方におせわになりました。ありがとうございました。
続く第9期においても理事として選出され,企画委員会委員長という役割を命ぜられた。これはホントの本当に意外だった・・・。他の学会でも何か企画しているような気がするし,そんなにアイディアが出てくるタイプでもないのに・・・というのが率直な感想。ただ,自分のベストは尽くすべく,新しい委員会のあり方や新しい事業のあり方を,(しかもより楽な方向で)探っていきたい。

結果としての教育実践研究計画

教職大学院の実践課題研究報告書の指導を担当し,10年以上となる。これまで,いろんな院生を指導してきて,少しずつ一定の形ができつつある。その一方,研究論文とは異なるもやもや感もなにか抱いてきた。
そのうちのひとつが,実践研究の計画の執筆内容である。実践課題研究の最終報告書は,本人の成長を示すポートフォリオである。しかし,それを羅列して書いていくだけでは,全体の構造がよく見えないというデメリットがある。
逆に,研究論文風に整理をして,セオリー通り,目的ー方法ー結果ー考察を全体的にも各章でも入れ子構造で書いていくと,一見良さそうなものではあるが,あまりにも整いすぎており,本人の成長が読み取れない。
例えば,ある院生は,授業におけるICT利用として教育実践研究を始めたとする。授業実践を行っていくうちにその研究内容は焦点化されていき,はじめは一斉指導における活用だったものが視点が変わり,協働学習において実践を探究する流れになることがある。経時的に書いていくと,後から後から新しい概念が出てきてしまう。一方,これをきれいにまとめすぎると,あたかもはじめから協働学習におけるICT活用を志向していたかのように見えてしまう。
こんなことを考えながら院生と話していると,報告書の冒頭には,「当初の実践研究の計画」,そしてそれに対して「結果として進められた実践研究計画」の双方をその違いに留意しながらまとめたほうが良いのではないかと思うようになった。そのほうがはじめからその実践研究が意図されたものばかりではなくて,成長しながら新たな視点を得て不断の改善を行ってきたことがよく分かるのではないだろうか。
全国で教職大学院での指導を担当する教員が多くなった。そもそも実践課題研究で何を目指して指導をしているのか,どのようなスタンスで指導をしているのか,いろんな意見を聞いてみたい。