結果としての教育実践研究計画

教職大学院の実践課題研究報告書の指導を担当し,10年以上となる。これまで,いろんな院生を指導してきて,少しずつ一定の形ができつつある。その一方,研究論文とは異なるもやもや感もなにか抱いてきた。
そのうちのひとつが,実践研究の計画の執筆内容である。実践課題研究の最終報告書は,本人の成長を示すポートフォリオである。しかし,それを羅列して書いていくだけでは,全体の構造がよく見えないというデメリットがある。
逆に,研究論文風に整理をして,セオリー通り,目的ー方法ー結果ー考察を全体的にも各章でも入れ子構造で書いていくと,一見良さそうなものではあるが,あまりにも整いすぎており,本人の成長が読み取れない。
例えば,ある院生は,授業におけるICT利用として教育実践研究を始めたとする。授業実践を行っていくうちにその研究内容は焦点化されていき,はじめは一斉指導における活用だったものが視点が変わり,協働学習において実践を探究する流れになることがある。経時的に書いていくと,後から後から新しい概念が出てきてしまう。一方,これをきれいにまとめすぎると,あたかもはじめから協働学習におけるICT活用を志向していたかのように見えてしまう。
こんなことを考えながら院生と話していると,報告書の冒頭には,「当初の実践研究の計画」,そしてそれに対して「結果として進められた実践研究計画」の双方をその違いに留意しながらまとめたほうが良いのではないかと思うようになった。そのほうがはじめからその実践研究が意図されたものばかりではなくて,成長しながら新たな視点を得て不断の改善を行ってきたことがよく分かるのではないだろうか。
全国で教職大学院での指導を担当する教員が多くなった。そもそも実践課題研究で何を目指して指導をしているのか,どのようなスタンスで指導をしているのか,いろんな意見を聞いてみたい。