教育実践研究をまとめる(18)マイ・プロジェクトを進めるために

教職大学院の実践研究も,通常の研究とまでは行かないが,ある程度構成的に書かなければ,他者に伝えることはできない。自分のやったことを時系列に伝えるだけでは,「それってあなたの日記ですよね?」という指摘を受けることになる。

一方,それを背景ー目的ー方法ー結果ー考察ーまとめというフォーマットに落とし込んで伝えようとするならば,見た目は良いのかもしれないけれど,あまりにもキレイで,より客観的なものになり,その良さが失われるようにも思う。こうしたことは何度も書いてきたように思う(書くのがあまりにも久しぶりで忘れているけれども)。
後者は成果として焦点化されたものであるからできれば他の人にも参照可能な知見としてぜひまとめたい。しかし,前者には価値がないのだろうか?

私は研究者教員でもあることから後者を重視してきたが,長らく進めてくると,前者にも当該本人にとって大きな価値があるのではないかと思えるようになった。

例えば,ICTを活用した授業研究を学校内で進めようと自分で企画をするとする。それは時間をかけて先行的な実践を検討したりして計画をしたものであれば,頑張って実施して良い成果を収めたい。

しかしそうはうまく行かない。学校内の授業研究グループで提案をしても,自分の伝え方に原因があり,あまり受け入れられないこともあるかもしれない。そもそも,それを検討するに当たりグループでの打ち合わせをしようとするもみんな忙しくて日程調整が敵わない。このようなことを通して,思ったことがうまく進まない院生が大半である。

でもそこで足を止め,少し振り返って「こういう方法で発信すればよいのだな」とか「管理職よりも先にAさんに相談をすればうまくいくのではないか」など考えたりしてみる。このようなことが今後自身の職務をうまく進めていくときの知見や教師としての力量にも繋がってくるのではないだろうか。

すなわち,自身の教育実践研究をひとつのマイ・プロジェクトと捉え,その試行錯誤を含む取り組みを通して,自身の力量を省察していくことが「学校における実習」,個人的な視点を少し削ぎ落としつつ,他者も参照可能な客観的な研究知見になりそうな主なところをまとめていくのが「実践課題研究(修了の報告書)」という捉え方で良いのではないだろうか。

その際,前者と後者の発表や成果物をどの程度切り分けるか,同じ情報からそれは判断できるのか,あるいはその比重は,などといったところは個人のキャリアなどにも大きく関係するのではないかと考える。