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研究開発学校

先日,文科省の研究開発学校について書いたが,昨日の長崎新聞を見たら,うちの附属中学校も指定を新たに受けたということが書いてあった。知りませんでした。何に取り組むんでしょうかねぇ。

新教科「キラリ」で表現力 研究開発校

この記事。「キラリ」って名前はおいといて(笑),この表現科の流れは注目しておいたほうがよいと思う。研究開発学校ということは,次の指導要領でなんらか影響するかもしれない。取り組むのは香川の陶小学校。行ったことはないが,地域をテーマとした総合的学習で実績のある学校だったと記憶している。

(?)中山文科相、総合学習削減の意向 教科の授業時間確保

http://www.asahi.com/national/update/0118/035.htmlより。先にチェ・ジウの方が目についたんだけれども・・・。これは触れないわけには行かぬ。何回も書いているけれども,結局学力の捉え方の問題か。「国語・数学・理科・社会の基本的な学力」これも大事でしょうよ。それを削ってまでも育成したいほかの学力があるから総合的学習を実施したのではないでしょうか。しかも実施後3年がやっと終わろうとしているときに・・・。土曜日の使い方ってのは議論すべき。ただし,狭義の解釈をしての補習とかに収束していくのは本来の考え方とは違うと思いますが。

早速出た

こんなに早く何らかの対応策話が出るとはね。文科省「ゆとり」転換、授業時間増を検討(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041215-00000001-yom-soci)。調査は2003年。学習指導要領の改訂は2002年(小・中)2003年(高)。そんなに効果てきめんだったのか?低下って言うのは一部の記事では1999年のものと比較しているが,2001年までのカリキュラムはあまり変わらないはず。もっとも,そんな中で学力が低下しているのだとしたら,むしろ他に原因があるわけで,学習意欲とか,子どもを取り巻く環境とかそれはそれで検討する必要があるとは思う。とにかく,時間数の問題だけではないと思うが。

ところで,「ゆとり教育」という言い方は,総合的学習を研究対象としてきた私から言うと納得がいかない。時間数削減とともに入ってきた総合的学習や,選択学習,情報教育などで学習者の主体性を重視した教育を進めるとするならば,ただ一斉指導を受けてそれを解釈するよりもより高い思考力,判断力が求められるからだ。時間数の削減による「ゆとり」のみを言っているのかもしれないが,しっかりとやっている実践はとても教科時数の削減では間に合わないはずで,「ゆとり」の一言では語れないのではないか?

PISAの調査については,問題と結果をもっと詳細に検討する必要があると思う。どのような問題でどのような能力を問うているのか。本来ならすぐさまやるところだが・・・。早く日本語の文献を手に入れないと。さすがに英語では・・・。あ,なるほど。これが「ゆとり教育」の弊害だ(笑)