彼はそこにいた

年賀状を書いているとき,卒業した中学校のことが気になって調べてみた。そんなことをいろいろとやっているとふと「彼」のことが気になった。中学校3年間同じクラス,運動神経抜群,勉強もできないように見せていた感じだったけど頭は切れるという印象だった。

「彼」は夢をかなえてきた。ラグビーがやりたいといい,有名校に入学,花園へ行った。大学でも続け,ある程度知られている東京にある有名企業へ。「彼」と最後にあったのは2000年の大晦日(血の大晦日ではありません)から2001年の元日にかけて。そのときはなぜだか彼の提案で,「世紀の変わり目を日本のへそで迎えよう」ということで,兵庫県西脇市へ行こうとした。企画自体がオイオイという感じだけど,さらにオイオイなのは時間内にその場所へつかなかったこと。

まあそれはそれでよしとして,彼はそのとき次のことを考えていたようだ。「仕事をやめて,田舎へ行き,そこで生活する」って。まあ誰しもいいそうなことだけど,彼はなにかやらかすのではないかなと思ってた。

そんな彼のことがふと気になったので,思わず検索してみた。引っかかったのは1件だけ。コミュニティ紙のPDF版。彼はそこにいた。彼は会社をやめ,実家の近くに戻ってある短大で健康をテーマに勉強をしていた。彼なら,次に何をしでかすだろう。楽しみだ。

かたや大学で教えている自分がいると思うとなんだか変な感じもするが,こっちのほうがおかしいのかもしれない。社会人院生を身近に感じた一瞬だった。

これぐらいの年というのはターニングポイントなのかもね。あと10数日で29歳になる。来年は人生の上で何か大きく変化しそうな1年になりそうだ。特に予定があるわけではないんだけど,そんな気がする。

余談だけれど,M-1グランプリですが,出場者,ほとんどが同年代!調べてみたら,アンタッチャブルの山崎は誕生日が僕と4日だけ違うみたい。ある程度やってきて,日のあたるところに出るにはそれぐらいの年月が必要だということだろうね。僕のスタートは遅いから早くからやってきている彼らと比較するのはどうかという気もしますが。常々結構お笑いと研究者の世界はにてるような気がしてます。

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