「実践研究」カテゴリーアーカイブ

教育実践研究をまとめる(17)計画として長期の評価計画を盛り込む

教育実践研究の計画を立てる際,その目的は重要であり,目的を明確化する際には,評価を考慮することも重要であるということを(4)にまとめた。現在年度初めに入り,新たな院生の方への指導を始めているが,このことを実感する。

自身はこれまで,あまりはじめから評価を意識しすぎないように指導をしてきたが(そもそもの実践の質が問題だし,学会や学会誌論文の発表を志向するわけではないので),その結果,実践の実施が先立ってしまい,途中から評価について議論することが多くあり,その弊害のようなものも感じてきた。

複数年で,いくつかの教育実践研究のサイクルを意識するのであれば,継続的に評価し,それがより向上するのかどうかを検討することが基本的には良いだろう。その評価結果は説得力を持つし,何を評価するべきかを考えることは,長期に渡る教育実践研究の全体計画に1本の筋道をつけることになる。

途中から評価の観点が増えることになっても良いが,何を継続して評価するかを考えることは,教育実践研究の目的を明確化することにつながるので,ひとつの王道だということを忘れてはならない。

もちろん,評価にあたっては,多様な評価を心がける,というのは学校での授業と同じであることも肝に命じたい。この点から,対象者が自己評価をするための項目を先行研究から検討したり,自由記述としてどのようなデータを収集すればよいかを検討したり,インタビューなども考えてみると良いと思う。

「教育実践研究をまとめる」のリスト化

昨年度から,教職大学院の現職教員大学院生が,学校等勤務先での実習(10単位)の成果を最終報告書としてどのようにまとめるかについてこれまでの経験等に基づいて私見を「教育実践研究をまとめる」として,書いてきた。

1年でもっと書きたかったけれど,書けた記事は16個であった。

その都度,実践研究というタグも付けているのだが,この度固定ページとしてリスト化した。ご意見やご感想,あるいは記事になるようなテーマなども教えていただければと思う。

教育実践研究をまとめる(16)進めるうちにモデルが見つかったら

教育実践研究も,先行研究にあたった上で,それに基づいて研究をすすめる。一方で,こうしたことはないだろうか。すでに教育実践研究を計画し,進めている際に先行研究となる実践のモデルが見つかった。あるいは,知ってはいたが,自分のやっていることがある研究で取り上げられているモデルと実は密接な関係を持つことに気がついた。「モデル」という言葉は結構微妙な言葉なので,ここではこれを詳細に取り上げることは避け,先行研究として同じ意味で用いるが,もっと簡単に言えば,視野には入っていなかった先行研究が見つかった(しかももう実践はスタートしているのにも関わらず)場合どうすればよいかということを考えたい。

一般的な研究においては「もうやってるじゃないか」として,見るも無残に切り捨てられそうである。しかし,教育実践研究においてはそれは異なるのではないかと思う。

進めてきた教育実践の中であるモデルが見つかった場合,実践が終わったあとに自分のやったことを振り返り解釈するものとして利用すると,「ああ,これが足りなかったな(だからうまくいかなかったんだ)」とか「モデルのここが機能したので,うまく行ったのだ」ということに気がつくかもしれない。もう少し欲張れば,当該モデルを用いてもうまく解釈できない,説明がつかないという部分が生じるかもしれない。そうなれば,新たなる提案をすることにもつながる。

ただし一応書いておくと,やはりこうしたモデルは先に見出していることが断然好ましい。そのモデルをスタートラインにし,追試したり拡張したりすることができるからだ。自分が思っているスタートラインよりももっと前でスタートをさせてくれる。結果,思っていたよりももっと先へと行けるかもしれない。教育実践研究においても先行研究の検討は間違いなく必要不可欠である。

教育実践研究をまとめる(15)3段階のリフレクションを参考にする(その2)技術的リフレクションと実践的リフレクションのバランス

少し前に,3段階のリフレクションについてその存在を知り,メモとしてまとめた(その1)。そこから数ヶ月経つが,3つあるリフレクションのうち,技術的リフレクションと実践的リフレクションのすみ分けがより必要ではないかと考えるようになった(批判的リフレクションはそのあとでも良いのではないかと考える)。これが「理論と実践の融合」を実現させるひとつのポイントになるのではないかと考えたからだ。

技術的リフレクションの「汎用的な原則」の範囲をどこまでにするかは難しいところであるが,学校現場での課題に対して何らかの原則を持ってアプローチをし,課題達成に向けてどの程度進めることができたかを成果としてまとめる,というのが研究を志向した(学会誌等の「教育実践研究」のカテゴリに存在する)教育実践研究となると思う。

しかしながら,教職大学院における教育実践研究となると,教師という専門職として,自身の資質・能力上の成果と課題を見出すという意味で,実践的リフレクションも不可欠であると思う。この点で,先の研究を志向した教育実践研究とは少し異なる部分があるのではないかと考える。

教職大学院においては,学校現場での実習を重視している。現職教員であれば,入学時にこれまでの経験に基づく実践的リフレクションと,自身で身につけたい資質・能力の明確化が必要となるだろう。加えて学校課題を明確にし,技術的リフレクションの視点から課題解決にあたる。そのプロセスが実習となる。その結果について,技術的リフレクションのみでなく,実践的リフレクションも行い,双方のリフレクションに基づく報告書をまとめる。

一方学部卒院生(ストレートマスター)であれば,まず学校現場に入り,その日常を知るという実習において実践的リフレクションを取り入れ,その後に技術的リフレクションの立場も少し取り入れていきながら教育実践研究を充実させるというスタンスとなるのではないか。

経験の違いによる,スタートラインの違いがあるのではないかと考え,それはこのリフレクションの考えによって表現できるのではないかと思った。

教育実践研究をまとめる(14)計画を実現させるのは自分自身

教職大学院において,教育実践研究をまとめるのは,自分自身である。当然ながら,報告書等の研究成果には,自分の単名でまとめることが基本となる。

一方,現職教員で特に教育委員会等から推薦を受けた方は,組織課題の解決というミッションを背負い,大学院に入学をしてくる。そしてその組織課題の解決過程とその成果をまとめることになる。

このような立場の方において,教育実践研究をその人個人がまとめているにも関わらず,その人自身が見えず,誰が書いているかわからない教育委員会の報告書のように読み取れてしまう事例が有る。これは特定個人の事象ではなく,何回も見聞きしたものである。

これについて,例えば次のように考えると良いのではないだろうか。組織のミッションは,あなた自身が仮にいなくても誰かが取り組むことになる。組織が掲げた目的を実現させる方法はいくつかある。それについて,自分の置かれた立場から目的に到達するために,何をどのように進めるのか,その計画や手段について,「自分が」何を行うのかという視点から説明する。それはすなわち,他の人なら別の計画や手段になるということになることを意味する。

その意味で,特に計画においては,自分がどう意図をして何をするのか,そして組織としては何を行う事になっているのかというように,主語を明確にし,前者については必ず述べるということに注意をすればよいのではないかと思う。計画のすべてを派遣元の組織が決めることではなく,自身では目的の具体化することや,計画段階を自分ごとに置き換えることを意識したい。

加えて言うなら,もし仮に執筆者が教育委員会の所属やそこから派遣される大学院生であったとしたら,この教育実践研究に取り組むことで,自分としてはどういうことを個人的に達成したいか,どのような資質・能力を身につけたいのかなども明確にしたうえで,自身の取組を随時振り返ることができるようになるとさらに良くなると思われる。推薦であれば自治体から資金の援助なども受けている方も多いと思うが,組織にかえすだけではなく,自分の成長へとつなげたい。