「実践研究」カテゴリーアーカイブ

教育実践研究をまとめる(15)3段階のリフレクションを参考にする(その2)技術的リフレクションと実践的リフレクションのバランス

少し前に,3段階のリフレクションについてその存在を知り,メモとしてまとめた(その1)。そこから数ヶ月経つが,3つあるリフレクションのうち,技術的リフレクションと実践的リフレクションのすみ分けがより必要ではないかと考えるようになった(批判的リフレクションはそのあとでも良いのではないかと考える)。これが「理論と実践の融合」を実現させるひとつのポイントになるのではないかと考えたからだ。

技術的リフレクションの「汎用的な原則」の範囲をどこまでにするかは難しいところであるが,学校現場での課題に対して何らかの原則を持ってアプローチをし,課題達成に向けてどの程度進めることができたかを成果としてまとめる,というのが研究を志向した(学会誌等の「教育実践研究」のカテゴリに存在する)教育実践研究となると思う。

しかしながら,教職大学院における教育実践研究となると,教師という専門職として,自身の資質・能力上の成果と課題を見出すという意味で,実践的リフレクションも不可欠であると思う。この点で,先の研究を志向した教育実践研究とは少し異なる部分があるのではないかと考える。

教職大学院においては,学校現場での実習を重視している。現職教員であれば,入学時にこれまでの経験に基づく実践的リフレクションと,自身で身につけたい資質・能力の明確化が必要となるだろう。加えて学校課題を明確にし,技術的リフレクションの視点から課題解決にあたる。そのプロセスが実習となる。その結果について,技術的リフレクションのみでなく,実践的リフレクションも行い,双方のリフレクションに基づく報告書をまとめる。

一方学部卒院生(ストレートマスター)であれば,まず学校現場に入り,その日常を知るという実習において実践的リフレクションを取り入れ,その後に技術的リフレクションの立場も少し取り入れていきながら教育実践研究を充実させるというスタンスとなるのではないか。

経験の違いによる,スタートラインの違いがあるのではないかと考え,それはこのリフレクションの考えによって表現できるのではないかと思った。

教育実践研究をまとめる(14)計画を実現させるのは自分自身

教職大学院において,教育実践研究をまとめるのは,自分自身である。当然ながら,報告書等の研究成果には,自分の単名でまとめることが基本となる。

一方,現職教員で特に教育委員会等から推薦を受けた方は,組織課題の解決というミッションを背負い,大学院に入学をしてくる。そしてその組織課題の解決過程とその成果をまとめることになる。

このような立場の方において,教育実践研究をその人個人がまとめているにも関わらず,その人自身が見えず,誰が書いているかわからない教育委員会の報告書のように読み取れてしまう事例が有る。これは特定個人の事象ではなく,何回も見聞きしたものである。

これについて,例えば次のように考えると良いのではないだろうか。組織のミッションは,あなた自身が仮にいなくても誰かが取り組むことになる。組織が掲げた目的を実現させる方法はいくつかある。それについて,自分の置かれた立場から目的に到達するために,何をどのように進めるのか,その計画や手段について,「自分が」何を行うのかという視点から説明する。それはすなわち,他の人なら別の計画や手段になるということになることを意味する。

その意味で,特に計画においては,自分がどう意図をして何をするのか,そして組織としては何を行う事になっているのかというように,主語を明確にし,前者については必ず述べるということに注意をすればよいのではないかと思う。計画のすべてを派遣元の組織が決めることではなく,自身では目的の具体化することや,計画段階を自分ごとに置き換えることを意識したい。

加えて言うなら,もし仮に執筆者が教育委員会の所属やそこから派遣される大学院生であったとしたら,この教育実践研究に取り組むことで,自分としてはどういうことを個人的に達成したいか,どのような資質・能力を身につけたいのかなども明確にしたうえで,自身の取組を随時振り返ることができるようになるとさらに良くなると思われる。推薦であれば自治体から資金の援助なども受けている方も多いと思うが,組織にかえすだけではなく,自分の成長へとつなげたい。

教育実践研究をまとめる(13)計画をまとめる

これまで,(4)で目的をまとめること,(11)において結果をまとめることの一部について紹介をした。その目的と結果の間に入るのが通常の研究では,「方法」となる。


一般的な研究では,例えば次のようになる。
目的:〜について明確にする。
方法:調査のためのデザインとしてどう考えたかを述べる。そのうえで,
XXX名に対してアンケート調査を行う。YY名に対してインタビューを行う。あるいはその組み合わせ,など調査分析に関する方法を述べる。
結果:アンケート調査(あるいはインタビューなど)の結果を集計し,図○○のように整理したところ,このようなことがわかった。などと記述。
といったように,「方法」にあたるところは,目的を達成するために,どういう調査デザインで,どのように評価のためのデータを収集したかについて述べることになる。

ここで,教育実践研究においては,どのようにまとめればうまく伝わるのかを考えたのだが,「方法」という言葉よりも,「実践計画」「評価方法」という言葉を使い,節を設けるのが適切なのではないかと考えた。この項目では,以下について記すと良いと思われる。

実践計画
・計画をデザインするための方針や原則
・現場の状況
・方針や状況に従い,実際に計画したこと
 実際に計画したことが,方針や状況とどのような接点を持つのか。

評価方法
・評価のためのデータ収集の方法

私もこれまで「方法」と指導をしており,このことについてうまく伝えることができていなかったことに気がついた。特に学会発表を考える人によくあるのだが,どのような計画をして実践をしたのか書かずに,データ収集の方法がよく指摘をされるためこの点だけに注力をする人がよく見られる。論文の査読などでも同じような経験をした。一般的な研究の枠組みに従ったためにこの様になってしまうのだと思う。教育「実践」研究なのだから,評価方法以前にどのような文脈で行ったのかその実践の計画が重要である。特に,実践の計画に関して詳細な記述をすることを考えたい。

教育実践研究をまとめる(12)3段階のリフレクションを参考にする

これまで書いてきたことから少し離れるのだが,最近以下の書籍を読んだ。

ここの中で,リフレクションについてバンマネンのリフレクションの類型が紹介されており,著者なりの解釈が示されている。孫引きとなるが,バンマネンはこの3つについて以下のように定義しているという。これをそのまま引用すると,

技術的リフレクションとは,ある目的を達成するために,汎用的な原則を技術的に応用することである。(中略)実践的リフレクションとは,個人的な体験,認識,信念などを分析し,実践的な行動を方向づけることである。実践的リフレクションの背後には教育目標や教育経験が存在している。それらの価値を深く考え,その背後にある社会的な成約やイデオロギーを批判的に省察するのが批判的リフレクションである。

千々布敏弥(2021)先生たちのリフレクション. 教育開発研究所,東京 pp.156-157.

著者はこのあとこの考え方に独自の解釈を加えたり,事例を出したりしているので,読んでみることをおすすめしたい。

私がこれを読んで考えたのは,教育実践研究をまとめるときに,上記の技術的リフレクションにより過ぎていないかということである。これはまとめる本人だけではなく,それを指導する自分も含めてである。また,技術的リフレクションを重視する傾向は,学会誌論文における実践研究カテゴリにも同様の傾向が言えるのではないかと思った(もちろんその一方,技術的なリフレクションの視点から,その知見を共有し,みんなが意識化できる技術も特に教育工学においては必要だと思っている)。実はこのことにずっと違和感を感じていたが自身で表現する言葉が見当たらなかったので,本書を読んで分けて考える重要性に気がついた。

一方でリフレクションが重要だとしながら,技術的なものなのか,実践的なものなのか,批判的なものなのか,そのどれでもないものなのか,よくわからないリフレクションも教職大学院に多く存在するのではないだろうか。

このリフレクションにおいて,みんなでどういう合意を持てばよいのかを少し考えた。まずこうした視点を知っておき,分けて考えることから始めると良いのではないかと思った。教職大学院において実践研究をまとめる際には,いずれも必要なのではないか。ただし,それらは何がどういうリフレクションにより生み出されたものなのかがわかることが必要なのではないかと思う。

教育実践研究をまとめる(11)結果や成果は「やったこと」ではない

学年暦としては1年の半分が終わるこの時期,教職大学院における教育実践研究でも一旦区切りをつけてまとめる機会が多いのではないかと思う。私の所属する大学院においても,発表を通してそれをまとめる機会があった。
ここではだいたい,目的やそのためにどういったことに取り組もうとしたか(いわゆる計画)を語った上で,その成果や課題を説明するというのが一般的だと思う。


その「成果」部分において,「やったこと」を説明することで終わるケースがある。例えば,ある教育実践について,学校内での普及を図るという目的があったとして,その「成果」として「学校で授業研究を行うことができた」というようなものである。
これは本来,その前の計画部分に組み込まれるべきものである。もちろん,計画したことを実際に行動に移すためにはたくさんのハードルがあるに違いない。しかし,やっただけでは,直接「成果」とはいえない。もう少し言えば,計画で具体的に何を行うかについて構想していない場合,成果としてやったことやできたことを説明してしまうことになるのかもしれない。


成果として語られるべきものは「やったこと」「できたこと」「行動したこと」ではなく,「実際にやったことがどのような結果をもたらしたか」という形で説明されるべきである。例えば,研修の評価方法として有名なカークパトリックの4段階評価法(日本eラーニングコンソーシアムのページ)においては,一番レベルの低いものとしてレベル1(反応)からスタートしている。実際に教員研修をやったという事実があり,それが終了した際に,研修参加者からどのような反応があったかということが成果として語られるもののはじめの段階となる。
目的ー方法ー結果ー考察ーまとめと課題というフォーマットで普通の論文のように考えてしまうと,こういうことが起こるのかもしれない。ここでいう「方法」として書かれることは,教育実践研究においては,多様なものとなる。

本日書いたことに基づけば,通常の研究論文の「方法」にあたる部分は,少なくとも「(当初立てた)計画」と「実際に行ったこと」については含まれること,それらは切り分けて書かれるべきであるということになろう。その他この部分でまとめることは,次回以降に整理したい。