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日本教育工学会春季全国大会

先日,日本教育工学会春季全国大会に以下2本の発表に関わった。前者の自主企画では,3年間続いた科研の総括となった。大学のFDに関わる方が結構いらっしゃっていたのが印象に残った。大会運営にも関わる時任くん忙しいにもかかわらず,私を元気づけるため(?)に提案してくれた自主企画の取り組みであった。感謝したい。最後に論文化し,まとめたい。

寺嶋浩介・泰山裕・時任隼平・藤井佑介(2021) 教員を対象とした集合研修の研修転移を検討する 日本教育工学会2021年春季全国大会 自主企画セッション 研究代表者,話題提供者(オンライン,2021年3月7日)『日本教育工学会2021年春季全国大会講演論文集』 pp.581-582.

姫野完治・長谷川哲也・益子典文・川上綾子・寺嶋浩介・霜川正幸・ 土田雄一・植田達也・生田孝至(2021)学校と大学で教師教育に携わった経験を持つ実務家教員の「教師教育者としての認識」の形成と変容 日本教育工学会2021年春季全国大会 (オンライン,2021年3月6日)『日本教育工学会2021年春季全国大会講演論文集』 pp.101-102.

情報Iの理解を深めるために

高等学校の新しい学習指導要領においては,情報科が情報Iと情報IIに再編成され,実施される。このうち,情報Iは必ず履修しないといけないものとなっている。

この内容について,学校の先生方に向け,一体どのような内容が求められるのか,何から始めればよいのかについて,鼎談をしているものがYouTubeで見ることができ,以下の再生リストにあがっている。

私も司会役みたいなものを仰せつかり,出演しているが,それは良しとして岡本先生や中野先生のお話は具体的でとてもわかり易い。一見の価値はあると思う。

余談ではあるが,この日文チャンネルには他の教科もある。美術科がその代表となるのであるが,なんとユーミンが登場している。再生回数で打倒ユーミンとなるか?

「データが有ればなんかできそう」病

後期の講義から,ZOOMを使っているものはレコーディングを始めている。基本的には記録用であるが,一部の講義では公開もしている。一昨年度,動画を公開する際にMoodleに直接アップするとトラブルが起きるため(コロナはもちろん予想していなかったが,試行しておいてよかったと思う。そもそもその後Moodleへのファイルアップロードについてはサイズ制限も出たし。),一手間はかかるもののYouTubeに限定公開の形でアップロードするのがその代替案として良いことを学んだので,それをときに利用している。

よく知らなかったのだが,Youtubeではどれぐらいの人に視聴されているのか,総じてどの程度の時間が見られているのか,どの場面が見られているのかなどがわかるということを知った。これを見ると,推測の範囲には過ぎないが,「授業前視聴を課したものは,多くは直前に見るのだな」とか,「別に見ろと言っているわけではないのだが,事後に視聴している人もいるのだな(欠席の人かもしれないけど)」みたいなのが,数値とともに実感でき,興味深い。調べてみると分析ツールなどもあるそうなのだが,ユーチューバーなんかはどう分析しているのだろう。

教育工学でも動画視聴やその傾向について分析しようとしている研究もあるが,今後オンライン授業化に伴って,増えていきそうだ。私もなにかおもしろいことができそうだと思ったが,これって多分「データが有ればなんかできそう」病だなとも思った。やはりきちんとした問題意識がないと手を出すのは危ないなとも思う。当たり前の話なんだけれど。

大教大生活が7年目に入った

2015年1月1日の着任だったので,6年目がおわり,7年目に入ったことになる。

仕事の内容は少しずつ変わりつつあるし,周りの環境も日々変わっていくが,日々豊かに暮らしていきたい。

短くても良いので,日々気がついたこと,学んだことなどをここにまとめていきたい。

教職大学院の実践課題研究報告書の構成に見る深い溝

教職大学院においては修士論文がない代わりに,実践課題研究報告書というのを(うちの大学院では)提出することになっている。

一応これまで指導をしてきたつもりなのであるが,各人によりその構成がまちまちなところがあり,指導(というかコメントをファイルに入れる)のが難しい。対象が現職教員院生となり,それがさらに顕著になった。

実践課題研究報告書をまとめる際は,2つの視点に留意し,それがうまく混ざることが良いのではないかと考えた。

ひとつは,研究論文としての構造である。すなわち,背景ー目的ーそれを実現させるための方法ーデータから出てきた(導き出される)結果ー結果を踏まえての議論・考察である。この構造を持ってまとめると,ある程度明確に示すことができるという点でメリットがあるが,載せたほうがよい情報を削ってしまったり,構成を重視するがゆえに削らざるを得ない可能性が出てくる。

もう一つは,実践研究としてのポートフォリオ性である。できるだけ状況や行ったこと,結果や意図せざるものまでを分厚く順序立てて描くといったイメージだろうか。これは,実践として鮮やかに描けるというメリットが有る一方で,どうしてもその場や状況に依存する。また,「なんとかがんばってまとめた」という本人の自己満足に終わる可能性もある。

私としては,前者のようなアプローチを基本的に心がけることが必要だと思っていたが,綺麗にまとめすぎようとして,下手をすると実践から目を背けてしまい,振り返りが浅くなる可能性がある。一方,実践でやったことだけをつらつらまとめるだけでは,別に大学院にいなくてもできるかもしれないことで,日誌としてまとめることと同じものになってしまいかねない。

以上から,両極にある視点としてこのふたつはとても大切であり,執筆をする人は心がけておかないといけないと思った。いわゆる「理論と実践の往還」という言葉にまとめてしまうことになり,そう言ってしまえばかんたんなのだが,長年教職大学院に関わってきたものとしては,あえて両者の視点には深い溝があると言いたい。この溝を乗り越えるにはどうすればよいだろうか?