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やっぱりわからんセカンドライフ

朝は、次に入居される方(すでにお知り合い)が訪問されたので、説明などをした。僕も同じように久保田先生から説明を受けたことが思い出されるが、実際に住んでみて困ったのは、ディスポーザーのスイッチ。まさか下の扉を開けたところにあるとは思わなんだ。これももう5か月前の話なんだよなあ。

大学へ。今日はセカンドライフのセミナーに参加した。College of Educationのキャンパス(もちろん仮想の)が本日お披露目ということで、その記念セミナーのようなものだ。興味がある人はまずfacebookのページを見るとよいと思う。紹介ページもある。

3名の登壇者(といっても1名はネット側からだが)、事例を紹介された。その中には客員として滞在されているノルウェーの先生も話もあった。Ph.D.のコースでの面談や女性同士の集まり等に活用されているという。また、ほかには語学での活用の話もあった。

でも、やっぱりわからなかった。僕の語学力のせいは大いにあるのだけれども、なぜ仮想環境なのか、それでこそ活かされる学習内容なのか、などである。ただ事実として、アメリカではいくつかの大学で今だ実施され、研究発表もある。ノルウェーに見るように、ほかの国でも取り組まれている。なにか僕が見えていない重要なポイントがあるのかもしれないとも思う。ひょっとすると、今ゲームの教育利用に関する研究が結構熱い(ように見えるが)、その基礎研究になりそうな知見はいっぱいあるのかもしれない。

とりあえずこの動向は、メディア教育の見方をとらえるひとつとしてはいい事例になるように思うので、冷静に見ていたいと思う。5年後、どうなっているだろうか。

帰国も間近になってくると、そろそろと人との別れが出てくる。このノルウェーの先生も本日が最後だったそうで驚いた。また、同じ部屋の人で来週からの学会に参加する人がいるので、彼ともお別れ。またどこかで会えるといいな。

お土産が気になり、キャンパス内の売り場に足を運ぶもめぼしいものが見つからず。うーん、何がいいんでしょ。帰るときに荷物の量も考えないといけないしね。後は仕事などして過ごす。

お帰りモード

帰国は13日のフライトだから、あと10日。ひえーーー早すぎる。

大学へ。これまで通り過ごすが、日本の仕事が着々と増えている。なんかの委員になったり、責任者になったり。授業の空き時間もほとんどなくなる。外へ出かけるための日(いわゆる研究日であるが、うちの学部ではそんなことには配慮されない)を確保するために懸命である。

帰ってから半期に週に10コマ程度の授業が待っている。これに加え、教職大学院の実習指導や学校訪問が加わる。このため月曜日、火曜日の実習時間はここ数年、極力空けるようにした。これは大学教員として相当大変な部類に入ると思うのだけれども。

少しずつ論文を読んでいる。来た時に心がけていたように、帰ってからどう進めるかを意識しながらやっている。

とにかくもうお帰りモードだ。なんだかなぁ。帰国後の楽しみな要素がかけらもない。

カウアイ島旅行

26日から1日まで最後の記念にカウアイ島へ旅行へ行ってきた。オアフからは飛行機で30分程度。12月にハワイ島へ行ったけれど、もうひとつ行ってみたかった。そうなると選択肢は順当にいけば、マウイかカウアイというところだろう。カウアイを選んだのはいろいろと多くの人に同じような質問をした結果、進めてくれたから。それと、マウイ島はカウアイと比較した際に、単独で訪問する可能性もなくはないだろうから。

以下、簡単に紹介。

26日は空港へ。外へ行くときの緊張感がなくなった(よいことでもあり、よくないことでもあると思う)。到着後、レンタカー。しかし、ナビがうまく動作せず、おまけに目的地もわからなかったので、空港に引き返し、ナビを変えてもらう。ついでに操作も教えてもらう。名所の一つ、シダの洞窟へ。1日に4本の船しか示されていなかったが、ツアーの臨時便が出るようで、それに乗ることができた。日本人はほかに誰もいないというハワイでは珍しい体験をした。昔は洞窟の近くまで寄れたようだけれど、柵で囲まれていて近寄れず。でも音楽を聴いたり、フラを見れたりして観光地気分で楽しんだ。

買い出しをしてホテルへ。今回はコンドミニアム。東海岸のワイルアというところ。ただ海を見ながら浜辺でゆっくりと過ごした。

27日はもうひとつの名所、ワイメア峡谷へ。午前中に行かないと、午後から霧が出るとのこと。途中のポイントは、山側も海側も絶景。山側はせり立つ山々を楽しむことができ、海側は言うまでもなくきれい。ニイハウ島も見えた。最終地点では雲が下界を覆っていて、ナパリコーストはちょっとしか見えなかった。雲が攻めるようにどんどんと近くに流れ込む。水蒸気や雲の関係を実際に見て取ることができた。

ワイメアの街やカウアイコーヒーで寄り道しながら帰る。ポイプで少し雨にやられた。

ホテルに戻ったのは夕方。ビーチへ出ると、なんとモンクシールが来ていた模様。残念ながら会えず。あーあと思いながらビーチを見ていたら、遠くで水しぶき。クジラの息継ぎのように見えた。それが何度か。もっと近かったらさらに楽しめただろうに。

夜は満天の星。こんなにきれいな星空を見ることができたのは本当に久しぶりである。

28日は北側へ。プリンスビルを通り越し、狭い道路を通って洞窟へ。ビーチもいくつか行ったけれどこの日はHigh surf adviseryが出ていて、とても泳げる状態ではなかった。天気もあまり良くなかったが、ホテル周辺は快晴。またしてもビーチでのんびり。遠くにクジラも見えた。綺麗な場所ばかり。宮古島のような感じ。

1日は最終日。快晴。ポイプビーチへ出て、海に入り、スノーケルを楽しんだ。透明度が高い海で気持ち良いし、とてもいいビーチだった。昼食は葉村サイミンというところで。このサイミン、とてもおいしかった。調味料を見ていると、前のおじさんに「これかけてみぃ」と言われた。この味は、沖縄の島とうがらし。ここの日系の人は沖縄から来た人なのかな。ホテルの近くに戻ってラパーツというチェーン店のアイスクリーム。ちょっと早めに空港へ。コナの空港よりも立派な空港。なんとスタバもある。しばし休憩ののち飛行機に乗って帰った。帰ってきたなーという感覚が出てきた。

その土地への一回目の旅行はどうしてもいろんなところに行こうとしてしまう。もうちょっとゆっくりしてもいいのかなとも思う。あと、2,3日いたらどこもいかずビーチでダラダラ過ごすだろう。楽しい旅だった。今度こういう機会に巡り合えるのはいつのことか。

シェイブアイス屋

午前中は英語の勉強と、論文を読む。帰国したら、もう少し基礎研究っぽいことを仕事の一つとしてやりたいと思っている。これはここ数年思っていることである。実践にかかわるものはその実践やプロセスに集中しがちできちんとデータが取れない。長い目で見るともう少しきちんとした基礎研究に取り組む必要があると研究者の僕としては考えている。

午後からプナホウスクールへ。関西大学初等部(っていう言い方でいいのか?)とのスカイプを利用した交流を見せてもらった。3年生と2年生だということで、あいさつ程度だったけれど、今後深めていくとのこと。プナホウの子どもが結構シャイですね、って先生にいったら「普段は全然そんなことないので、驚いている」とのこと。ほかの国の子とこうやって交流が持てるのは単純に面白いと思った。関大小学校側では時任先生が頑張っていた。

終了後、ちょっと遠めのモイリイリにある図書館へ。暑いので、近くにあるワイオラシェイブアイス。結構な人がいた。小さい店なのだけれども。今、アメリカで人気のあるHawaii FiveOの準レギュラーのおっちゃんが、シェイブアイス屋をやっているという設定で、それはこの店であるということ。最近まで店の存在を知らなかった。ネタとしてTシャツを購入したけれど、日本の人は誰もわからないだろう。内容がよくわかってないので、日本でも放送してくれないかなあ。

帰宅後、ソーシャルネットワークのDVDを見るも挫折。睡魔に襲われて寝てしまった。これは無理だ。帰りの飛行機でやったりしないかなあ。

今も旅に出ている最中ですが、明日から旅にまた出てきます。夜はその準備をした。天気は心配していたよりもよさそうだ。

英語夜間クラス終了

朝二度寝をしてしまう。こりゃ帰ってからリハビリ期間が相当必要である。

大学へ行く。人の出入りが多い日と少ない日があるのだけれど、今日は後者。これがまた曜日によって一定しているわけでもない。ほぼ人に会わずに過ごす。

昼食は、教会へいった。先日一緒に学校を訪問した先生などとお話しして過ごした。分野の違う人とも話ができるのはいいことだと思う。

ここのところ、日本の仕事が増えてきた。午後からシラバスを書いたりした。しかし、VPN接続があっさりとできてしまうと「大学にいないのでできないですよー」という言い訳が通用しないので困る。

帰ってからの研究や教育のことを考える日が続いている。そして、その準備を少しずつ進めているところだ。

夜は英語のクラスに出席する。途中しんどい時もあったけれど、すべて出席した。しかし、総じてなかなか会話に入り込めなかった。ひとつは英語で発言するには日本語→英語で考えているから反射的に出てこないので、話題が次々と言ってしまうこと。もうひとつは仮に日本語だったとしても、それに関してなかなか話すことができない自分の知識やコミュニケーション力のなさだろうと思う。とりあえず前者については努力で解決できることだろうと思うので、2年間で基礎を整え、その後の3年で実践に励むぐらいの心意気が必要だろう。

日本人もほかの国の人もいろいろいて、その境遇もさまざまであった。こういうことが実感できただけでもよかったのではないかと思う。おそらく僕が一番最近に来て、一番先に帰ることになる。一生懸命勉強している皆さんを見て、自分も頑張らないとと思った。