ハワイから見た日本の地震

僕は僕なりに,この日のことも書いておこうと思う。

ハワイ時間では,10日(木曜日)であった。この日の晩,こちらでお世話になった日本人の方に送別会を開いていただいていた。楽しくお話をしていたところ,大学の人に声をかけられた。その前に,偶然同じレストランで会ってびっくりしていたところだった。

話を聞くところでは,日本のeast shoreに大きな地震が来たという話であり,津波に対する警戒の話もあった。iPhoneで得た情報なのだという。正直言えば,この地点では深刻なものと捉えていなかった。マグニチュードも阪神の例と比べるとあまりに逸脱しているので,なにかの間違いだろうと個人的には思った(実際に僕はそう言った)。この後はハワイの過去の津波の話などをしていた。

事態の深刻さに気がついたのは,家に帰ってテレビを見てからだ。ローカルニュースはもちろんこの情報一色で,ハワイへの津波もあるとのこと。ハワイでは過去に大きな津波の被害にあっているそうで,津波にはとても敏感なところである。

家ではCNNも見られないため,情報はネットに頼った。一番情報を仕入れたのはおそらくtwitterだったと思う。今はNHKが独自にやっているustreamはまず中学生がそのままテレビを映しているものがあるという情報を得て,それをずっと見ていた。

ハワイの情報も気になった。10時台ぐらいから,津波警報のためのサイレンが1時間おきになった。午前3時頃,第一波が到達するとのこと。すでに日本の情報も見ていて不安ではあったが,自分は海から離れた高台で,被害は考えられないと判断していた。うちが何らかの状態になる程度のものであれば,このワイキキの退避具合ではすまないと考えた。ただ,津波時の停電や浸水を予測し,スーパーはごった返しているようであった。これはかつてもあったことだと聞いている。

実際に,私の住むオアフ島は波は高く,いつもよりも内側へ海は入っていったけれど,実害はほぼなかったようだ。それでも,(後で知ったことだが)マウイ島や自分が12月に訪れたハワイ島のコナは相当浸水し,ものが壊れている様子が映し出されていた。また,家の近くにあるタンタラスの丘(高いため,景色を見るのにいい場所とされている)と思われるところから車がたくさん降りてきている様子が印象的であった。

次の日の金曜日は大学へ行く最後の日だったが,前日の影響で大学のクローズが決定していた(公立学校はもともと休暇の日だった。私立学校もほぼ休みだったようだ)。快晴の1日だったけれど,人は殆どいなかった。すでに入っている人がおり,建物に入ることができたので,おいていたものを引き上げただけでかえるという,寂しい最終日となった。もちろん,Curtis先生とも会えず,水曜日にあったのが最後となってしまった。あとでメールのやりとりはしたが。

帰国予定については変わらないので,飛行機や空港の様子が気になった。11日は欠航したようだが,その後は飛んでいるようだ。こういう情報をチェックしながら,部屋の片付けを行った。

twitterばかりを気にしていたが,facebookやメールでもメッセージを貰った。久しぶりに連絡をくれた人もいた。

ハワイでもこの件はもちろん大きく報道されている。今ホノルルフェスティバルというのが行われているらしいのであるが,東北地方の方も多く参加されているとのこと。フェスティバル自体は実施されている。会場には募金箱が設置されているようだ。また,ALOHAと書かれている(Oの部分が日の丸になっている)Tシャツを買うと自動的に募金されるシステムが紹介されたりしていた。日本で人気のあるジェイク・シマブクロは早速チャリティコンサートを開くとのこと。このようなハワイの素早い対応を僕は今後忘れてはならないと思った。

日本やハワイに何が出来るのか,僕は僕なりに考えていきたいと思う。

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