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海外への訪問を振り返る

近く海外へ行く予定があるのだが,気がついてみると,パスポートの更新が間近になっており,その手続を進めようとしている(色々とあって,実現に至らず苦労している)。

この10年間,仕事の関係(ほぼ学会の参加になるが)で,12回海外へ行っていた。ただし,この3年に限っては,一昨年度に1回台湾に行ったのみである。これは大学院で実習の事務的な仕事を請け負っていたためで,行かざるを得ないものであった。実質的には,2013年6月に学会に参加したのが最後のようだ。

この10年間の海外への訪問で思い出深いものと言えば,やはり2010年10月から2011年3月にかけ,ハワイに滞在したことである。ビザを見ながら振り返ると,改めていろんな経験ができたと思う。研究では当時海を見ながら(!)考えたことを,その後5年間ぐらいで概ね達成することができた。今次のフェーズに来ている。どうでもいいが,今でもハワイ関係のテレビ番組を見つけると,密かに見ることも多い。

海外への訪問については,昔のようには行かないだろうけれど,研究発表などの機会を少し増やしたい。しばらくは,国内での勉強が続く。

帰国

バタバタとハワイを出発。感傷に浸る暇もなかった感じ。空港ではゆっくりした。

10時55分,予定通り出発。成田へ向かった。飛行機の中で地震の話はあまり出なかった。平常通りの運行を意識しているのかもと思った。でも「昨日のNHKニュースの録画が放送されます」というアナウンスには,みんな瞬時にヘッドフォンに手が伸びていた。他の人はどのような思いなのだろう。

日が変わり14日14時半頃,日本に到着した。10月のアメリカへの入国では少し手続きに時間をとったけれど,日本への帰国は普通と同じで腰砕け。すでに飛行機の中でJRが動いていないことを確認していたため,落ち着いてバスを予約。それでも1時間以上後のものであった。一部の荷物を送付手続きしてバスを待った。外へ出てみるとやや涼しい感じがした。

バスにて無事に羽田へ移動。羽田空港は全体的に暗かった。パソコンはバッテリーだけで利用した。ニュースは本日は断片的にしか見ていないので,特に停電に関することは未だによくわかっていない。

長崎への便も定刻通り。向かい風の関係で,少し遅れた。バスで長崎駅へ。すでに夜もある程度の時間であり,10日ほどしか住まず,半年も空けていた家には夜にかえることはさすがに抵抗がある。前々から予定していたようにホテルにチェックイン。

遅いにもかかわらず,井ノ上くん@大教センターが来てくれたので,一緒に食事をした。久しぶりに会った彼の姿に衝撃を受けた。雨が降っていたせいもあるが,長崎の夜は本当に涼しく(というか寒く),体がなれるには少し時間がかかるような気がした。

道中,ほぼ寝ることがなかったので,時差ボケは大丈夫だろう。ゆっくりと休みます。

ハワイから見た日本の地震

僕は僕なりに,この日のことも書いておこうと思う。

ハワイ時間では,10日(木曜日)であった。この日の晩,こちらでお世話になった日本人の方に送別会を開いていただいていた。楽しくお話をしていたところ,大学の人に声をかけられた。その前に,偶然同じレストランで会ってびっくりしていたところだった。

話を聞くところでは,日本のeast shoreに大きな地震が来たという話であり,津波に対する警戒の話もあった。iPhoneで得た情報なのだという。正直言えば,この地点では深刻なものと捉えていなかった。マグニチュードも阪神の例と比べるとあまりに逸脱しているので,なにかの間違いだろうと個人的には思った(実際に僕はそう言った)。この後はハワイの過去の津波の話などをしていた。

事態の深刻さに気がついたのは,家に帰ってテレビを見てからだ。ローカルニュースはもちろんこの情報一色で,ハワイへの津波もあるとのこと。ハワイでは過去に大きな津波の被害にあっているそうで,津波にはとても敏感なところである。

家ではCNNも見られないため,情報はネットに頼った。一番情報を仕入れたのはおそらくtwitterだったと思う。今はNHKが独自にやっているustreamはまず中学生がそのままテレビを映しているものがあるという情報を得て,それをずっと見ていた。

ハワイの情報も気になった。10時台ぐらいから,津波警報のためのサイレンが1時間おきになった。午前3時頃,第一波が到達するとのこと。すでに日本の情報も見ていて不安ではあったが,自分は海から離れた高台で,被害は考えられないと判断していた。うちが何らかの状態になる程度のものであれば,このワイキキの退避具合ではすまないと考えた。ただ,津波時の停電や浸水を予測し,スーパーはごった返しているようであった。これはかつてもあったことだと聞いている。

実際に,私の住むオアフ島は波は高く,いつもよりも内側へ海は入っていったけれど,実害はほぼなかったようだ。それでも,(後で知ったことだが)マウイ島や自分が12月に訪れたハワイ島のコナは相当浸水し,ものが壊れている様子が映し出されていた。また,家の近くにあるタンタラスの丘(高いため,景色を見るのにいい場所とされている)と思われるところから車がたくさん降りてきている様子が印象的であった。

次の日の金曜日は大学へ行く最後の日だったが,前日の影響で大学のクローズが決定していた(公立学校はもともと休暇の日だった。私立学校もほぼ休みだったようだ)。快晴の1日だったけれど,人は殆どいなかった。すでに入っている人がおり,建物に入ることができたので,おいていたものを引き上げただけでかえるという,寂しい最終日となった。もちろん,Curtis先生とも会えず,水曜日にあったのが最後となってしまった。あとでメールのやりとりはしたが。

帰国予定については変わらないので,飛行機や空港の様子が気になった。11日は欠航したようだが,その後は飛んでいるようだ。こういう情報をチェックしながら,部屋の片付けを行った。

twitterばかりを気にしていたが,facebookやメールでもメッセージを貰った。久しぶりに連絡をくれた人もいた。

ハワイでもこの件はもちろん大きく報道されている。今ホノルルフェスティバルというのが行われているらしいのであるが,東北地方の方も多く参加されているとのこと。フェスティバル自体は実施されている。会場には募金箱が設置されているようだ。また,ALOHAと書かれている(Oの部分が日の丸になっている)Tシャツを買うと自動的に募金されるシステムが紹介されたりしていた。日本で人気のあるジェイク・シマブクロは早速チャリティコンサートを開くとのこと。このようなハワイの素早い対応を僕は今後忘れてはならないと思った。

日本やハワイに何が出来るのか,僕は僕なりに考えていきたいと思う。

ようやく快方へ

体調のせいであまり眠れず、頭痛により夜中に起きる。思わずバファリンを飲んだら少し遅い起床となる。

大学へ。メール等の処理をした後、Curtis先生とランチへ。明日あさってはお忙しいとのことで、これが最後のランチとなる。大学のこと、家族のこと、はては新しい大河ドラマ「江」のことまで(笑)話した。楽しいひと時だった。感謝。

大学へ戻り、生協へ。若干購入した。バスでワイキキへ。銀行へいき、口座の住所を日本のものに変更。テレビやインターネットの解約はすでに行ったので、これでインフラ関係はほぼ終了(電気は大家さん名義だし、水道代はないので)。

この後アラモアナに移動し、調子の悪い目のために目薬等、そのほかもろもろを購入した。結構体にガタがきている。帰ったら歯医者や眼科に行かねばならない。首も相当怪しいし。

夜になってようやく体調がよくなってきた。健康な状態でフライトに臨めればよいのだけれど。

風邪ひいた

最後にして風邪を引いた。どうやら大学でもらった模様。先週の木曜日、横の人が咳をしてたんだよなあ。あとあと聞いてみると、僕が居ない時に実は風邪で休んでた人が居たりとか、僕のいないところでウイルスが蔓延し始めていたようだ。のどは1日で痛くはなくなったが、鼻が治らず、夜になると頭痛もしてくる。首肩の調子もあるんだとは思うけれど。最後に大きく躓いてしまった。

週末土日はお土産買い出し。新しく大きなカバンもひとつ購入し、すべてもって帰国の途につく予定。

月曜日は1日家でおとなしく過ごしたが、よくなる気配はなし。

今日は朝英語のクラスへ。普段だったら行っていなかったけれど、先生に前もって最後だから行くということを伝えていたし、長らく出席していなかったので行くことにした。レイをかけてもらい、ケーキまで用意してくれた。カウアイ島出身の先生からはカウアイのフォトブックをもらった。たまに見て思い出そう。感謝感謝。

その後大学へいき、4月からの教職実践演習の構想を練ったり(あるパートの責任者を任されることになった)、論文を読んだりして過ごした。机の片づけも始めた。大学へ行くのもあと3日。5日後に帰国する。