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論文採録

昨年投稿をしていた論文が,長きにわたる格闘の末,無事採録された。

Terashima,K., Nakagawa, H., Kobayashi, Y., & Murai, M. (2019)
Technology Integration Changes over Three Years: Teacher Technology Acceptance in a One to One Tablet PC Integration Across Cities.
“International Journal for Educational Media and Technology” 13(1)
pp.17-26. (2019年7月15日)
online: http://jaems.jp/contents/icomej/icomej.html

本論文は,ある地域に導入された一人一台タブレット端末の活用が3年間かけてどのように進んだか(教師がどのように受け入れていったか)を教師に対する調査をもとにまとめたものである。

日本での教育の取り組みを英語でも発信していくことが重要であると考えている。しかし,それを日本の教育的な文脈がないところにどう伝えていくかについて,特に難しく感じた。このような点から,理論的な文脈についても検討を重ねた。

論文が採録されるまでのプロセスは大変で,特に査読結果に対する修正は,毎日頭を悩ませた。採録まで楽な査読論文は,ひとつとしてない。若い頃は,慣れればマシにはなると思っていたが,残念ながら,変わらない。

時間がない中,すぐにアドバイスをくれた共著者のみなさんと有益なコメントを下さった査読者の方に感謝します。

現場との距離

最近事務の方からも「あの人は研究をやっているのか?」と心配されているので,たまには研究についても触れてみたい。

先日,後輩研究者に研究の中身について,提案をしたところ,「現場に近すぎます」と言われた。それは裏を返せば,「ちゃんとした理論があるのか?」ということになるかと思う。そうです。確かにそのとおり。結構反省をしました。ということで,その事も含め,少し考え直すことにした。

実は普段も,自分でやりながら,自分にこのことを投げかけていることがよくある。理論あらへんやん,みたいなこと。「理論と実践の往還」とはよく言うのだけれど,自分としては現場の状況をくみ取って,こうだからという明快なロジックを組み立てて,その対応方策を論じなければいけない。この「状況」がほんとに多くのところで当てはまるのか,なぜその対策か,というのは説明できないといけないのだろう。

加えて,私が対象とする教育の現場は,様々なレベルがあることも忘れてはならない。最近,私も外部の人間として,学校に行くだけではなく,教育委員会等で,政策に対して意見を求められたりもするようになった。ここもまた現場とはいえ,実際の学校とは論理が異なる。

様々なレベルを越えて,どちらの状況も知りながら,あるところで提案したものが,適用先でうまく行っているのか,何が問題なのか,実際に目で見なければいけない。それを数ヶ月前,あるところで聞き,自分も意識しないとなと思った。

研究ー現場という横軸,教育現場の縦軸,いずれの場所にも立ち,その場なりのアクションができる,ということが重要なのだろう。

クラスごとで結果が異なる教育実践研究ー結果をよく吟味しよう

教職大学院の大学院生(主としてストレートマスター)が実習で,ある単元や授業の実施を学校から任せていただく。中・高等学校で授業を行う大学院生は,同じ授業に数回取り組むことが多い。例えば任された時間が,3時間の授業で,1組から5組まであったとすれば,15時間授業を実施するーそんなケースにこれまで接してきた。

そこでセオリー通りに,事前と事後にアンケートをとり,評価をすると,こんなケースが出てくる。「1組と2組で結果が全く異なります」。例えば1組では仮説どおり統計的な有意差ありの肯定的評価であったが,2組では有意差が認められないどころか,逆に評価が下がっているなど。こうなってくるとどう解釈するかが実に悩ましい。

そうなったときはやはりまずはきちんと振り返ってみることである。「実は最後の時間の直前はプールであった」「教科担当の先生が担当のクラス」,あげくは「この日のこのクラスはテラシマ先生が来たから」とまで言われたことがある(行かんかったほうがよかったんかい!)。本当かどうかわからない。でも解釈は必要である。人間を対象に進めている教育実践研究は改めて,このようなことは起こりうることだろうという前提を共有したい。

もちろん,振り返る際には,できるだけ客観的な情報はほしい。先の例であれば,では3,4,5組はどうであったのかという結果があるだけで,見え方がまたずいぶん異なるのではないかと思う。このよくあるケース,私も評価に関わったり,実践研究論文の査読に関わることがあるが,こうした特性を忘れてはならないと思う。

「長」の名のつく仕事も難しい

先日,日本教育工学会の総会,理事会等が実施され,これまで長らく務めた大会企画委員会委員長を退任し,新たに研究会委員長に就任することになった。

大阪に来た頃ぐらいだろうか,近年職場内外でこのように「長」を担当することが出てきた。やってみると,今までの悩みとは異なる悩みがいっぱい出てくるなあと思いながら,毎日を過ごしている。簡単な仕事はない。それでもなお,基本は「ありがとう」と「ごめんなさい」といういうことも実感しつつある。

さて,これから大会企画委員会としての最後の全国大会があると同時に,新しい研究会の仕事も把握しなければいけない。もちろん,教育工学会以外の業務もある。数カ月はそれを乗り切ることに,苦労しそうだ。

教育新聞に寄稿

教育新聞社さんには,昨年度遠隔合同授業に関する連載の機会を頂いてからのお付き合いとなる。

今回,同社から,教育新聞に「円卓」というコラムを依頼され,投稿した文章が掲載された。

テーマは何でも良いということだったので,タイトルを「越境できる教師教育者を」とした。最近このことについて考える機会があり,今の段階で考えていることを文言化しようと思った。

購読会員限定の記事となっているが,もし機会があればお目通しいただきたい。